冬の闇。人気のない駐車場で、俺はいよいよ覚悟を決めようとしていた。
車を出て、適当な場所を探す。だが、死の儀式は驚くほど捗らない。時折通りかかる車のライトに怯えては車内に逃げ込み、また外に出る。そんな無様な往復を繰り返していた時、一台の車が執拗に駐車場を巡回し始めた。
パトカーだった。
少し遠くから様子を伺っていると、警察が俺の車を確認しているのが分かった。それから、辺りを懐中電灯で激しく照らし始めた。
(まずい……)
見つかれば怪しまれるのは明白だ。街灯もない暗闇の中に佇む男。どう考えても異常だ。どうしようか立ち尽くしていると、警官がこちらに近づいてくるのが見えた。
咄嗟に隠れようとしたが、警官の放つ鋭い光が、一瞬で俺の姿を捉えた。
隠れる素振りを見せれば、なおさら不審がられる。俺は諦め、光の主へと向き直った。
「こんばんは、何されてるんですか」
「いえ……ちょっと……」
本当のことを言えるはずもなく、言葉を濁す。懐中電灯の光が冬の夜気を切り裂いて、俺の顔を白く冷たく照らし出した。
そのまま自分の車の前で、警官二人による職務質問が始まった。
「すみません、調べさせてもらいますね」
一人が俺を問い詰める横で、もう一人がダッシュボードを漁り始める。
やめてくれと言いたい気分だったが、変に反抗すれば事態が悪化する気がした。俺はただ、雑に私物を探られるのを眺めるしかなかった。腹の底で苛立ちが募る。
そこで、ハッとした。
後部座席には、あの粗末な遺書を書いたノートが置いてあった。
(頼む、後ろは見ないでくれ…………!!)
俺の祈りは、あまりにも無力だった。警官の手が後部座席に伸びる。
ノートを手に取り、パラりとページがめくられた。
(終わった……)
一瞬の静寂のあと、俺はこれからの展開を悟った。
警察署の夜
ノートを確認した警官が、もう一人にそれを手渡す。内容を読み取った警官が、低い声で話しかけてきた。
「これは……」
何も言わせまいとして、食い気味に言葉をかぶせる。
「……大丈夫です、死にませんから! 帰りますから!」
「そういうわけにはいきませんよ。お酒も入っているようですし、これを見て放っておくわけにはいきません。警察署まで来てください」
押し問答は続いたが、警察の「帰さない」という姿勢は岩のように固かった。
何から何まで情けない自分と、警官のあまりの頑なさに苛立ったが、これ以上は無駄だと察し、俺はパトカーに乗った。人生で初めて座る、パトカーの後部座席。死んだような目でうなだれたまま、夜の街を運ばれていった。
警察署の、取調室のような無機質な場所。そこで、なぜ死のうとしたのかを執拗に問われる。
「言いたくない」と突っぱねていたが、最後には折れて、全てをぶちまけた。
ギャンブルで作った膨大な借金。そこから逃げるための死。
こんな情けない理由を告白しなければならない自分を、心の底から呪った。
俺をなだめるためか、励ますためか、警官は「自分の知り合いに、自己破産したやつがいるよ」なんてことを言っていた。だが、その言葉はどこか遠い世界の出来事のようにしか響かなかった。
総額800万の地獄
ひとしきり事情を話し終えた後、警官が告げた。
「迎えに来てもらうために、家族に連絡しますね」
それは、俺にとって無情すぎる宣告だった。家族にだけは絶対に知られたくない。俺は必死で訴えた。
「それだけは勘弁してください……!」
半泣きで懇願したが、願いは虚しく、実家へ電話がかけられた。
後に親が語ったところによれば、その電話を受けた瞬間に血の気が引いたという。
「お宅の息子さんが遺書を書いて死のうとしていたので、引き取りに来てください」電話の内容は分からないがこんなところだろう。
いきなりの警察からの連絡。親からすれば、俺はコツコツと金を返し、平穏を取り戻しつつある「更生中の息子」だったはずだ。それが突然、自ら命を絶とうとしていたという。まさに、青天の霹靂だったろう。
しばらくして、「ご両親がお見えになりました」と促され、署の入り口に移動した。
警官に付き添われた俺の先に、両親が立っていた。
二人の姿が視界に入った瞬間に、俺は深く顔を伏せた。
合わせる顔がない。二人がどんな表情をしていたのかも、怖くて見られなかった。
パイプ椅子の置かれたテーブルで、警官が両親に事の次第を説明する。
二人はただ静かに、重い沈黙の中でその言葉を受け止めていた。
帰りの車内。空気は氷のように冷え切っていた。
「……いくら借金があるんだ?」
父の声は穏やかだった。まだどこかで、救える額だと信じたかったのかもしれない。
もう全てを諦めた俺は、絞り出すように真実を口にした。
一度はゼロにしてもらった借金。そこから再びギャンブルに溺れ、首が回らなくなり、禁忌の金策を限界まで積み上げた、依存の集大成。
「……550万ほど、だと思う……」
「ええっ!?」「はあ!?」
車内に、両親の悲鳴に近い絶叫が響き渡った。
前回の250万を親が血肉を削って清算してくれたのに、さらに積み上げた550万。総額、800万円以上。それが、俺という人間の負債の重さだった。
「もう助けられる金なんてないぞ! どうするんだ!」「最低やね……!」
罵声と後悔が、逃げ場のない車内に降り注ぐ。
俺はただ、揺れる車内で、その声を遠い遠い場所から聞こえる雑音のように、聞き流すしかなかった。
かくして、俺の自死の試みは警察を巻き込み、親を絶望させ、ひた隠しにしてきた借金もすべて露呈するという、最高に無様な形で幕を閉じた。

