ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。管理人の泥谷(どろや)です。
飽き性の私が一区切りまで物語を書ききることが出来たのは、ひとえに読んでくださる皆様の存在があったからです。
孤独な作業になりがちな回顧録ですが、画面の向こう側に誰かがいてくれるという実感が、何よりの支えになりました。心より感謝申し上げます。
幼少期の記憶から、依存症という底なし沼に沈み、多重債務者となり自己破産に至るまで。できる限り忠実に記憶を掘り起こし、書き綴ってきました。
独白のような物語調ではありますが、これらはすべて、私の身に起きた紛れもない実体験に基づいたものです。
いざこうして書き起こしてみると、他人事のように言うのは憚られますが、自分がいかに「とんでもないクソ野郎」であったかを痛感し、愕然とするばかりです。
ただ、ここで一つお伝えしたいことがあります。
決して自分を肯定するわけではありませんが、依存症というものは「分かっていても、やってしまう」、自分ではコントロールが効かない「病気」です。
本人ですら「自分の意思でやっている」と思い込まされている側面があり、その正体が周囲に理解されにくいことが、解決をより難しくさせています。
依存症からの回復には、本人の努力だけでなく、家族の理解が不可欠です。私もかつては、両親から「お前の意思が弱いだけだ」と非難され続けてきました。
しかし、その後、依存症について共に理解を深めていく中で、「本人の意思だけでは防げない領域がある」という認識を共有できるようになりました。
もし、ご自身やご家族が依存症ではないかと悩んでいる方がいれば、どうか一人で抱え込まず、専門機関に相談してください。
……とはいえ、私のケースにおいて、そこに私の「意思」が全く介在していなかったとは思いません。
どれほど病気が背景にあろうとも、私が犯した過ちや、裏切ってきた人々の痛みは消えないからです。
非難されても仕方ないことをしてしまったという後悔は、今も私の中に深く根を張っています。
読者の皆様の中にも、少なからず共感してくださる方がいれば、一方で、あまりの身勝手さに不快な思いをされた方もいらっしゃるでしょう。その方々には、この場を借りて深くお詫び申し上げます。
裁判所から「免責許可」の決定が届いたとき、550万円という負債は、確かに法的に消滅しました。
その瞬間、感じたのは歓喜ではなく、ただただ深い「脱力感」でした。
喉元を締め付けていた鎖が外れた解放感と同時に、人生に拭い去れない「影」を落としたのだという自覚が、重くのしかかってきたからです。
家族や債権者の方々への後ろめたさを抱えたまま、この先、胸を張って生きることなど、おそらく私にはできないのだと。
何より、両親には言葉では尽くせない心労と迷惑をかけました。これほど不祥事を重ねた私を、最後まで見捨てずに支えてくれたのは、他ならぬ父と母でした。
本来なら、私は一生をかけて彼らに償わなければなりません。
しかし、そんな親の無償の愛を知りながらも、私はまだ、パチンコ屋の光に抗えない自分を抱えています。
恩を仇で返し続けながらも、それでも「生きていてほしい」と願ってくれる両親に対し、申し訳なさと、言葉にならない感謝が、胸の奥に澱(よど)のように溜まっています。
このブログを書き始めた当初、私はただ自分の惨めな過去を吐き出したかっただけでした。
一話ずつ醜態を綴っていく作業は思いのほか苦しく、コンプライアンス的に載せるべきか迷う内容もありました。
しかし、そこを隠せばリアリティが失われると思い、あえてすべてを書きました。文字にすることは、己の「狂気」と強制的に向き合う時間であり、私自身にとっても必要な「心の整理」だったのだと思います。
この記録が、同じ苦しみを持つ方の慰めや、あるいは「こうはなるまい」という反面教師になれば、これ以上のことはありません。
そして…普通であれば、ここで「更生してギャンブルを断ち、真面目に親孝行して生きる」というのが美しい結末でしょう。
しかし、私に関して言えば、ギャンブルを断ち切ることはできませんでした。希望を期待した方、特に依存症の家族を支えている方々には、光になれず申し訳なく思います。
親にトラウマを植え付け、警察や弁護士を巻き込んでもなお、私は今も、管理されたわずかな小遣いの範囲で、レートを落としたパチンコの液晶に向き合っています。これが、私の偽らざる現実です。
私はこれから先も、「ギャンブルを完全に断ちます」という約束はできません。死ぬまでこの衝動と付き合い続けていくしかないのでしょう。
今はただ、ギャンブルと借金という行為の重さが、以前より少しだけ分かるようになった。それだけなのです。
開き直っているつもりはありません。ですが、そう思われても仕方ないほど、私は不完全な人間です。
ただ、以前よりは規模が小さい葛藤を繰り返しながら、泥臭く生きていく。
それが私の、飾ることのない本当の姿です。
物語の第一部は、ここで幕を閉じます。
免責後から現在に至る「その後」の生活については、これからこのブログにてお伝えできればと思います。
最後までご愛読いただき、本当にありがとうございました。
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