工場の機械音が響く中、俺は初めて「まともな社会人の報酬」を手にした。
給与明細に印字された数字を見て、胸が熱くなったのを覚えている。学生時代のバイト代や、職業訓練の手当とは、背負っている「重み」が違った。
実家暮らしということもあり、家にはいくらか金を入れていたが、親はどこまでも優しかった。残りの大部分を、俺の自由にさせてくれたのだ。
「これだけあれば、何でもできる」
そう確信した。だが、その「何でも」という広大な選択肢の中に、パチンコ・パチスロ以外の娯楽は、最初から存在しなかった。
牙を抜かれた機械と、共犯者たち
金に余裕ができても、やることは変わらない。給料日になれば、磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、ホールの自動ドアをくぐる。
そんな日々を送る中、業界の空気が一変した。
スロット5号機時代の終焉と、パチンコの「継続率65%規制」。かつての射幸心を根こそぎ奪うようなルール変更に、「もう終わったな」と冷めた視線を向けるファンも多かったし、実際にこの規制の波を肌で感じて引退した人も少なくなかったはずだ。
俺自身、パチスロはほとんど打たなくなった。パチンコも「昔に比べたら全然面白くない」と毒づきながらハンドルを握っていた。
だが、完全に冷めきったわけじゃない。不自由な規制の檻の中でも、「まだ俺を熱くさせてくれる台」を必死に探しては、ホールを徘徊する。
かつての熱狂には及ばないとしても、新基準の中で自分なりの「面白さ」を必死に手繰り寄せようとしていた。それは情熱というより、逃げ場のない「執着」だった。
職場にも、同じように文句を言いながらホールへ通い詰める同僚や先輩が数多くいた。休憩時間の話題は、決まって昨日の台の挙動や、新台の信頼度、そして勝敗の行方。
「昨日は3万負けた」「俺は5万出した」
そんな会話が、挨拶と同じ熱量で飛び交う。そこは、俺にとって心地よい「共犯者たちの溜まり場」だった。
誰も俺を咎めない。むしろ、負けることすら一つの「ネタ」として共有されることで、自分の愚かさが日常に溶け込んでいった。
嵐の前の、静かな水面
就職からしばらくは、そんな凪(なぎ)のような毎日が続いていた。
給料が入れば打ちに行き、底をつけば、じっと次の給料日を待つ。実家という安全圏のおかげで、食いっぱぐれる心配はない。
「このままずっと、こうして生きていくんだろうな」
ぼんやりと、そんなうだつの上がらない未来を描いていた。だが、運命というのは、往々にして最も油断している瞬間に、その鋭い牙を剥く。
ある日、俺の人生の「終わりの始まり」とも言うべき、決定的な転機が訪れた。
それは学生ローンの完済以来、必死に守り続けてきた最後の一線を、ついに踏み外してしまう出来事だった。
「どうしようもない。これしかないんだ」
自分にそう言い聞かせても、胸の奥では静かな恐怖と、後ろめたさが、じわりと渦を巻いていた。
俺の人生のレールが、音を立てて「破滅」へと切り替わった瞬間。
あの日、俺が選んでしまったもの。
それが、その後の人生のすべてを決めてしまったのだ。

