最初は、一人でホールへ行くのが怖かった。
店内の独特のルールが分からず、殺気立った空気もどこか自分の住む世界のものとは違う気がして、N氏の背中を追うように付いていくだけだった。
だが、人間というのは恐ろしいほどすぐに慣れる。
完全にパチスロの虜になり始めていた俺は、インターネットや雑誌でスペックを調べ、打ち方を覚え始めた。
最初に変則打ちを覚えたのは『サクラ大戦』だった。ボーナス察知を早くする打ち方を覚え、制御やリーチ目を語れるようになることが、どこか通っぽくてカッコいいと感じていた。
知識を増やして手に入れた「謎の自信」。 それに背中を押されるように、俺はいつしか一人で自動ドアをくぐるようになった。
一応設定差に関する知識も入れて小役の数を数えたりしたが、結局、低設定のような挙動でもズルズルと打ち続けていた。
当時は5号機の黎明期。『エヴァ』や『サクラ大戦』はそれなりにコイン持ちが良かった。ハイリスクなイメージの4号機に比べ、5号機はマイルドで、どこか安全な遊びのようにすら思えていた。
まだスロットに対して怖いという感情を少なからず持っていた俺は好んで5号機を打っていた。
そのうちN氏に誘われ、パチンコにも手を出した。羽根モノや甘デジから入り、ミドルタイプのエヴァへとステップアップしていく。
パチンコに関しては釘の知識すら調べようとしなかった。「ハマり台狙い」などのオカルトに頼り、雑誌の演出信頼度に一喜一憂する。
スロもパチもそんな適当な平打ちを続けていれば、当然トータルでは負けていく。
だが、その時の俺にとってそれは「負け」ではなく、次の「勝ち」を引くための必要経費に過ぎなかった。
壊れ始めた、生活の優先順位
いつからかN氏と「ノリ打ち」をするのが恒例になっていた。
運のいい方が出せれば負けが抑えられるという甘い考えもあったが、何より負けた時の苛立ちも、勝った時の喜びも共有できることが、パチスロの楽しさを際立たせた。
負けた時はどこか他人事で笑える「情けない悲劇」として客観視し、勝った時は今日のダイジェストを語り合いながら豪遊する。このどこか不気味な楽しさが、より俺を沼らせた。
そんな生活を続ける内、いつしか、タガが外れ始めた。
家賃や光熱費。それまでは「支払ってから遊ぶ」という当たり前の順序があった。
だが、いつからか「勝ってから支払えばいい」という傲慢な思考にすり替わっていった。
勝てばいい。だが、負ければ生活そのものが立ち行かなくなる。そんな薄氷を踏むようなギャンブルを、俺は日常として受け入れ始めていた。
この頃、帰省した際に何度か父と打ったこともある。父は息子と「大人の遊び」を共有する程度のつもりだったのだろう。その頃はまだ借金もなく、後ろめたさもなく、俺も父と行くのが純粋に楽しかった。
ただ、軍資金を出してくれた父と共に負けた時、なんとも言えない悲しい気持ちになったのを覚えている。
「自分が負けるのはいいが、父が負けるのは見たくない」。
親を思いやる気持ちはある。大切にしたいという願いも嘘じゃない。
だが、レバーを叩く俺の左手と、ハンドルを握る右手は、そんな願いなどお構いなしに、親の信頼ごと未来を削り取っていった。
掃除機の止まった、ゴミと暗闇の部屋
毎日のようにホールへ向かう生活で金が回らなくなり、俺はスロット屋でバイトを始めた。皮肉なものだ。負けた金を取り戻すために、その金を吸い上げる場所で働く。
バイトを始めると同時に、大学へ行く気力は目に見えて失せていった。その時期はN氏とも疎遠になり、一人で過ごす時間が増えた。
当時の記憶は、ひどく暗い。
部屋は足の踏み場もないほど散らかり、それを見るのが嫌で、一日中電気を消して過ごした。 暗闇の中でゴミに囲まれていると、自分の人生そのものが汚れていくような気がして、さらに動けなくなる。
いつしか平気で光熱費を滞納し、給料が入ればその場しのぎで支払う。そんな、だらしないループを繰り返すようになっていた。
携帯の着信と、親の怒声
そしてある日、決定的な一線を越えた。
家賃と生活費が入ってすぐ、その全額をパチンコで溶かしたのだ。
「どうしよう、どうしよう」
頭の中をその言葉だけが支配する。だが、親に「家賃をパチンコで溶かしました。しかも数日で。」なんて言えるはずもない。
一ヶ月くらいなら、アニメやドラマの貧乏学生みたいに「待ってください」と言えば、「やれやれ、仕方ないね」で済むのではなかろうか? そんな淡い期待と甘い考えでいたが、そんなことが通るわけもなく、大家さんからの着信が来るようになった。
せめて支払いが遅れていることを謝罪すべきところを、怖くて電話に出ることすらできずにいた。しばらく音沙汰がなくなると、「もしかして本当に一ヶ月くらいなら滞納できるのかな?」と、根拠のない期待で自分を誤魔化し始めていた。
その沈黙を破ったのは、親からの激怒の電話だった。
無視し続けたツケは、俺ではなく、遠く離れた親に回ったのだ。
「大家さんから怒鳴られたぞ。一体、何をやっているんだ!」
携帯越しに響く親の怒声。
俺は咄嗟に、「パソコンが壊れて、どうしても必要だったので購入資金に充てた」と嘘をついた。 初めて嘘をついて、金を支援してもらった瞬間だった。
申し訳なさと情けなさで、心臓が潰れるほど痛かった。
だが結局、金を振り込んでもらえることになり、助かったと安堵した瞬間にその痛みは消えた。
「家賃だけは、絶対に滞納してはならない」
その時は確かにそう胸に刻んだ。だが、俺が学んだのは正しい生き方ではなかった。
「バレなければいい。最悪、また親がなんとかしてくれる」
そんなふうに意識して考えていたわけではない。だが、そんな破滅への甘えという名の種が、心の奥底で確実に芽吹いていたことに、俺はまだ気づいていなかった。

