冬の朝。家族に「行ってきます」と嘘をつき、車にこっそり道具を積み、駐車場に向かう。
手持ちの金はもう底をつきかけていた。残されたわずかな金は、駐車場と、最期の場所へ向かうためのガソリン代に充てると決めていた。
冷え切った車の中でYouTubeを眺める。画面の中に流れるのは、凄絶な人生を歩んできた人たちのドキュメンタリー。死を目前に控えた俺にとって、それは唯一の救いだった。自分より苦しい思いをした人が、今もどこかで息をしている。
俺は自分の身勝手な借金で自滅しただけなので、本来比べるのもおこがましい。だが、画面の中の命の輝きは、俺にわずかな希望をくれた。
「もしかしたら、俺のこの地獄も、いつか『過去』になる日が来るのかもしれない」
ただ、そのためにはこの地獄を何らかの形で「解決」しなければならないのだが。
実体のない絵空事を一瞬だけ抱き、結局夜中に暗い自宅へ帰る。そんな、中身の抜けた生活が数日続いていた。
かりそめの安堵、突きつけられた静寂
大学時代に読んだ、かつて社会現象にもなった『あの本』のことを思い出していた。自らの終わり方を網羅した、あの本だ。
当時はただの興味本位でページをめくっていたが、まさかあれが自分にとっての「マニュアル」になる日が来るとは、当時の俺は夢にも思っていなかった。
ネットで「楽に死ねる方法」を検索し、職場にも行かず、結局成し遂げられずに深夜に帰るだけの生活。もう数日、誰とも話していない。
ある日、たまらなくなって「いのちの電話」にダイヤルした。
多くの人が利用しているのか、なかなか繋がらない。
何度も、何度もリダイアルして、ようやく繋がった相手の声は、どこまでも穏やかだった。俺の懺悔ともいえる言葉の数々を、相手は否定せず受け止めてくれた。
「死なないで」
「家族に打ち明けて」
「専門機関に相談して」
「まずは、お家に帰りましょう」
向けられたのは、一点の曇りもない正論だ。
わかっている。これしか言えることはない。俺が相談員だとしても、きっとそう言うだろう。
こう言われても、今の俺の絶望が解決するわけではない。だが、そんなことは最初から分かっていた。
けれど、崖っぷちに立って震えている俺にとって、その声だけが暗闇の中で唯一繋がっている「糸」だった。とにかく、誰かに話を聞いてほしかった。
話を聞いてもらっている間だけは、ホッとしている自分がいた。
俺の絶望を共有したこの世の誰かと、たしかに繋がっているという安堵感。
だが、いつまでもこうしていられるわけもなかった。
電話を切った後の無機質な静寂が、たまらなく寂しかった。
温もりを知ってしまった分、車内の冷たさがさっきよりも身に染みる。
糸がぷつりと切れて、暗い宇宙に放り出されたような感覚。
世界から「お前の居場所は、ここにもない」と静かに告げられたような気がした。
数行に凝縮された、惨めな幕引き
薄暗くなってきた車内、ルームランプの薄明かりの下で、家から持ち出してきたノートを広げた。
両親へ向けた、簡易的な遺書を書く。
『助けてもらったのに、また借金を作ってしまいました。迷惑をかけてごめん。借金は相続放棄してください。今までありがとう。』
たった数行。人生の幕引きにしては、あまりにも短く、あまりにも惨めな言葉だった。
呪わしいほどの、生への執着
その後、薄暗い静寂の中、何度も自ら幕を引こうと試みる。だが、苦しみに襲われるたび、取り留めない思考が邪魔をするたび、結局は完遂できない。
もし死んだらどうなるんだろう。無になるのか。その後はどうなる? 腐乱して発見されるのか? 家族は……こんなクズな俺でも、死んだら悲しむんだろうな……。
そんな考えが次々と浮かんできて、ここまで落ちぶれても、俺は死ぬのが怖かった。
死ぬことすら、俺はまともにできないのか。
往生際が悪いと自分でも思った。
自分の命が持つ、この泥臭くもしぶとい執着が、何よりも呪わしかった。
俺にはもう時間がなかった。督促状が自宅に届き、家族にバレたら手遅れになる。その前に終えなくては。今日こそ、終わらせなくては。
逃げ場を無くすため、勢いで終わらせるため、酒を煽った。
だが、死ねない。人間の本能が、冷徹に邪魔をしていた。
冬の冷たい空気の中で、自分の吐く息が白く消えていくのを、泥酔した頭で眺めているしかなかった。結局、その日も夜が訪れようとしていた。
嘘を積み上げ、金を使い果たし、死ぬことすらできない。
そんな、人間としての最低限の輪郭さえ失いかけていた俺の生活に、ついに、本当の「終わり」が訪れる。
それは、自ら選んだ幕引きではない。
引き裂かれるような、残酷な現実の崩壊だった。
読者の皆様へ
この物語は、私、泥谷自身の過ちと絶望の記録です。
私はあの時、救いようのない孤独の中にいましたが、それでも「声」を介して誰かと繋がった事実に、どこかで生かされていたのだと感じています。
今、苦しみの中にいるあなたへ。私の物語とは違う、あなただけの希望があると思います。どうか、最悪の選択をする前に、一度この窓口を頼ってみてください。
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0120-783-556(フリーダイヤル・毎日16時から21時まで、毎月10日午前8時から翌日午前8時まで)
借金の問題で苦しんでいる方へ
心の苦しみを誰かに話すのと同時に、現実的な「借金の解決」に向けて動き出すことも大切です。
当時の私は「死ぬしかない」と思い込んでいましたが、法的に借金を整理する方法はあります。
誰にも言えず、督促に怯えているのなら、まずは専門家(弁護士や司法書士)の無料相談や、法テラスなどの公的機関を頼ってください。お金の問題で命を捨てる必要はないと今の私は思っています。
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