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※物語の中では当時の感覚を再現するため、一人称を「俺」としています
俺にとってパチンコは、子供の頃からすぐそばにある「日常」だった。
悪いイメージなんて微塵もなかった。父や祖父母がたまに勝って、笑顔で景品を持って帰ってくる。そんな温かい記憶とセットになっていた。
自分の根っこにあるものが、どうやって今の「業」に繋がっていったのか。それを整理するために、まずは子供時代の話からしておこうと思う。
家族構成は賑やかな多世帯家族。
父母ともに勤め人で、特別に裕福というわけではなかったが、金で苦労した記憶はない。
小遣いも、多くもなく、少なくもなく。
至って「普通」の、穏やかな家庭だったと思う。
だが、そんな日常の風景の中に、パチンコはごく自然に溶け込んでいた。
茶の間の隅にあった、パチンコの気配
祖父母や父はパチンコを嗜む人だった。
といっても、家中がいつもその話で持ちきりだったわけじゃない。
たまの団らんの中で、「今日は勝った」「負けた」という話がさらりと出る程度だ。
子供だった俺は、その話を横で聞くのが結構好きだった。
単に景品でおもちゃを貰えるから、という理由だけではない。
大人が自分たちの知らない「勝負」や「駆け引き」の話をしている。その空気感が、なんだか少し背伸びをしたような、大人びた話題に触れている気がして心地よかったのだ。
もちろん、景品も嬉しかった。
一番の記憶は、当時どこも品切れで手に入らなかった「たまごっち」を祖父母が持ってきた日だ。
あの日は、子供心にパチンコという存在に最も感謝した瞬間だったと思う。
俺にとってパチンコは、決して「悪いもの」ではなかった。
日常の延長線上にあり、時には欲しかった宝物を運んできてくれる、少し楽しそうな「大人の遊び」。
ただ、それだけのことだった。
娯楽に溶け込む、のめり込みの予兆
父が買ってきた『大工の源さん』や『初代ギンギラパラダイス』の家庭用ゲーム。
それを遊んで見せると祖父母が喜んでくれたから、たまにやったりもした。
といっても、当時の俺がパチンコそのものに強い興味を持っていたわけじゃない。
俺が本当に熱中していたのは、テレビゲームだった。
気に入ったタイトルにはそれなりにのめり込んだ。
「好きなものには、時間を忘れて没頭する」
そんな性格の片鱗は、確かにあった。
パチンコに対して特別な肯定感があったわけではない。ただ、否定する理由もなかった。
導火線は、静かに置かれただけだった。
俺が初めて、自分の金でパチンコ屋の自動ドアをくぐるその日まで…
