大学3年。積もり積もったサボりのツケが、目に見える数字となって襲いかかってきた。
単位が、絶望的に足りない。
今からフルで取得しても、卒業できるかどうかは紙一重の博打だった。
慌てて教室に顔を出し始めたが、心ここにあらず、だ。
こんな状態になってまでも、頭の中では「授業が終わったあとにホールへ向かうこと」しか考えていなかった。
ときおり、母が様子を見がてら部屋の掃除に来てくれたり、段ボールいっぱいの食料品の仕送りがを送り届けてくれたりした。その度に胸が締め付けられるような罪悪感に襲われた。だが、その痛みも、ホールの自動ドアをくぐれば一瞬で霧散した。
初めての借金、学生ローンの誘惑
バイトをしていても、負けが込めば金は底をつく。
「どうしよう」と焦りながらネットの海を彷徨っていた俺は、ある言葉に出会った。
「学生ローン」
収入があれば借りられる。その甘い響きに誘われ、俺は人生で初めての借金をした。金額は10万だった。
当時は借金に対する恐怖心もまだ残っていた。だから、「滞納すれば取り返しがつかないことになる」と自分を律し、バイト代からきっちりと返済を続けた。結果として、俺は一度も遅れることなく完済した。
だが、この「完済」という成功体験が、俺の脳を狂わせた。
「自分は、借金をしてもしっかり返せる人間なんだ」
そんな根拠のない自信が、後の巨大な地獄への扉を、音もなく開けてしまったのだった。
親の愛を糧に、嘘で繋ぎ止めた「モラトリアム」
迎えた大学4年。
首の皮一枚で繋がっていた単位は、必修科目の試験日に「寝坊」したことで、あっけなく千切れた。
目が覚めた時の、あの指先が冷たくなるような感覚は今も忘れられない。
親のおかげで成り立っているこの生活。それを続けるには親への説明と了承を得ることが不可欠であった。だが、俺はここでも本当のことを言わなかった。
当時はいわゆる就職氷河期。俺はその社会情勢を隠れ蓑にして、親にこう告げた。
「景気が悪くて就職が決まらない。だから留年させてほしい」
俺は嘘を吐くことに慣れ始めていた。借金と嘘は、常にセットだ。
騙されているとも知らず、可哀想な両親は「それなら仕方ない」と留年を許してくれた。両親は俺の将来を本気で案じてくれていたはずだ。
もちろん、申し訳なさはあった。だが、それ以上に俺の心を占めたのは、「これでまた一年、この生活を続けられる」という醜い安堵だった。
親が身を削って工面してくれた学費も生活費も、当時の俺にとっては、この歪んだ生活を一日でも長く引き延ばすための「延命資金」に過ぎなかったのだ。
空虚な幕引きと、残された「負債」
留年した1年間は、流石に真面目に大学へ通った。
同じように留年していたN氏も、地元から通いながら残りの単位を埋めていた。会う頻度は減っていたが、たまに大学で会うと相変わらず一緒にホールへ向かったりもしていた。
単位不足による留年。そして就職浪人としての敗北。
なんとか卒業は出来たが、結局、1年間の猶予を貰ったにも関わらず、就職に関しては何一つ好転させることはできなかった。
卒業式には、出なかった。
式典がどこで、いつ行われているのかすら、どうでもよかった。
年下の後輩たちが門出を祝って騒いでいるその日、俺は一人、人知れず孤独に大学を去った。
大学生活で、俺が手に入れたもの。
それは教養でも将来への希望でもなく、積み上がった嘘の数々と、麻痺した金銭感覚、そして、消えることのないギャンブルへの執着だけだった。
「流石にもう、帰ってこい」
親の言葉に従い、俺は県外の一人暮らしに別れを告げ、地元に帰ることになった。
表向きは、不運な就職浪人生。
だがその実態は、親に嘘を吐くことに慣れきり、借金への抵抗感を「完済」という成功体験で麻痺させた、最悪のギャンブル中毒者だった。
地元での生活が始まる。
俺の脳に焼き付いた「液晶の光」は、消えるどころか、より深く、静かにその時を待っていた。

