職場に鳴り響いているかもしれない電話。会社に休むと連絡し、その恐怖から逃れるように、俺は現場から、そして日常から姿を消した。
そこからは、自死までの猶予期間だった。
泥の中に沈む記憶
そこからの数日間の記憶は、泥の中に沈んでいるように曖昧だ。
完全に追い詰められ、人生が詰んでしまった状況で、もはや仕事に行く気力なんて残っていなかった。
そんな絶望の中で、俺が捻り出した答え。
それは、債権者だけでなく、家族をも不幸にする最低な結末――「死」だった。
「死ぬこと、それが唯一の贖罪だ」
本気でそう思い始めていた。
手元には、支給されたばかりのボーナスがあった。だが、そんな程度の金では、膨れ上がった負債の前には焼け石に水だ。
かつては「返済」のために必死にかき集めた金が、今はもうどうでもいい。どのみち、滞納をすべて解消することなど不可能だった。
これは、俺がこの世を去る決心がつくまでの、「最後の手切れ金」なのだと思うことにした。
光の点滅と、夜に紛れる家
会社に行くふりをして、駐車場でぼんやりと時間を潰す。
漫画喫茶で無意味に時を過ごし、時には誰にも邪魔されないホテルで、ただ静寂の中で天井を見つめて現実逃避をした。とにかく横になりたかった。ただ、こんな状況でも、足はパチンコ屋に向かった。
もはや自分の中に、自動的にパチンコ屋へ運ぶためのシステムが組み込まれているかのようだった。あの特有の喧騒と空気だけが、死を待つ俺の諦めに近い気持ちを、わずかに落ち着かせてくれた。
パチンコ台の前に座り、光り輝く液晶を眺める。
かつてあれほど執着した大当たりも、今の俺にはただの光の点滅にしか見えない。勝っても、負けても、心は石のように動かなかった。
俺はただ、人生の幕をどう下ろすか、その残酷な猶予期間を無為に浪費していた。
パチンコを打ちながら、思考だけが空転する。
ここにいる中で、俺が一番「終わっている」んだろうな。
この人達にも借金はあるのか。きっと負けても笑って済ませられる程度の余裕なんだろうな。
俺が今、この瞬間にも地獄の淵で震えているなんて、誰一人として、知る由もない。
…早く…死ななければ……
そんなとりとめもない思考が、騒音の中で何度も浮かんでは消えた。
店が閉まれば、また駐車場へ戻る。夜まで粘り、家族には適当な嘘をついて、寝静まった頃に暗い家へ帰る。
夜の闇に紛れて立つ、自分の生まれ育った家。そのシルエットが、
「お前はもう、ここに帰る資格はない」
と、突き放しているように見えた。
鏡の中の亡霊
暗い家に入り、ふと鏡に映った自分の顔が目に入る。
そこには、酒と不眠でどす黒く濁った男が立っていた。
髭が伸び、髪は乱れ、眼は死んでいる。
「いつ、終わらせるんだ?」
鏡の中の亡霊が、呪いのような問いかけを、頭の中で壊れたレコードのように繰り返していた。
親が命がけで守ってくれた、あの「ゼロ地点」。
それを俺は、跡形もなく破壊し尽くした。
もう二度と、朝は来なくていい。
心の底から、そう願っていた。

